2026.01.19
女性は本当に「自由に選べている」のだろうか?
「今は女性も自由に生きられる時代ですよね」
そう言われるたびに、
私はどこかで立ち止まってしまいます。
本当に、そうでしょうか。
選択肢が増えたことと、
自由に選べていることは、
同じではないように感じるのです。
収入・年齢・家族構成がつくる“見えない枠”
たとえば、働き方。
フルタイムで働く
パートにする
仕事を一度離れる
選べるように見えて、実際には
- 収入がどれくらい必要か
- 年齢的に再就職できるか
- 家族の理解や状況はどうか
こうした条件に、大きく左右されます。
「本当はこうしたい」より先に、
「それは現実的じゃないよね」と
自分で自分にブレーキをかけてしまう。
それは自由な選択というより、
制限の中での選択だったのかもしれません。
「我慢が美徳」だった世代として
私たちの世代は、
知らず知らずのうちに
「女性は我慢強くあるべき」
という価値観を刷り込まれてきました。
体調が悪くても休まない。
家族を優先するのは当たり前。
仕事で無理をしても、文句は言わない。
「迷惑をかけないこと」
「波風を立てないこと」
それが“良い女性”だと、
どこかで信じてきたように思います。
でもその結果、
自分の気持ちや違和感を
後回しにすることが癖になっていませんでしたか。
誰にも見えない「不自由さ」
特に、生理や更年期など、
女性の身体にまつわることは、
社会の中でとても扱いづらいテーマです。
つらくても言えない。
理解されないかもしれない。
「自己管理ができていない」と思われそう。
そうやって、
声を上げる前に飲み込んできた不調が、
たくさんあったのではないでしょうか。
でもそれは、
個人の弱さではなく、
構造の問題だったのだと思うのです。
自由とは、「違和感を感じていいこと」
最近、私はこう思うようになりました。
自由とは、
何でもできることではなく、
違和感を違和感として感じていいこと。
無理をしていないか。
本当は苦しくないか。
自分の体や心を大切にできているか。
そうした問いを持つこと自体が、
自由への一歩なのかもしれません。
次回へ
次回は、
「生理や体調不良が、女性の働き方をどう縛ってきたのか」
について、もう少し具体的に書いてみようと思います。
もし今、
「私は本当に自由に選べているだろうか?」
と少しでも立ち止まったなら、
その感覚を、どうか大切にしてください。
読んでくださり、ありがとうございました。